電気グルーヴ-日本のテクノの新時代を切り開いた軌跡-現在の活動

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電気グルーヴ 日本のテクノの新時代を切り開いた軌跡 現在の活動

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電気グルーヴの33年超にわたる活動と、数々の名曲を振り返りながら、ユニットが経験してきた激動の軌跡についてご紹介します。


電気グルーヴの結成と活動の始まり

1989年、石野卓球は前身のバンドでヒップホップの要素を取り入れようとしていましたが、メンバーとの方向性の違いから解散。その後、ピエール瀧をはじめとする友人・知人を集め、電気グルーヴを結成します。この時、グループは4人編成でした。

同年8月、電気グルーヴは大阪のライブハウスで初ライブを行い、その後も活動を続ける中で、1990年6月にはインディーズデビュー。しかし、その後、3人編成に変更されます。

「人生(ZIN-SAY!)」時代の石野卓球。

野球部だったピエール瀧が、共通の友人の紹介で、初めて卓球の家を訪問したときの高校時代のエピソードはラジオでよく語られています。

インディーズ時代に注目を集めた電気グルーヴは、小室哲哉の目に留まり、メジャー活動へと進みます。小室は、電気グルーヴの音楽とキャラクターに感銘を受け、絶賛。

1991年2月、TM NETWORKの「RHYTHM RED BRAT BLACK[Version2.0]」に参加し、正式にメジャーデビューを果たします。続く1991年4月にはアルバム「FRASH PAPA」をリリースし、メジャーシーンでの活動を本格化させました。

その後、1991年6月に砂原良徳がメンバーとして加入。しかし、1999年には砂原(まりん)が脱退し、電気グルーヴは石野卓球とピエール瀧の2人組となります。

結成当初、ユーモアやジョークを交えた楽曲が多かったものの、1993年の「FLASH PAPA MENTHOL」以降、テクノサウンドを多用するようになり、1993年12月にリリースした「VITAMIN」はオリコンチャート5位にランクインし、日本のテクノブームを牽引しました。


後ほどふれる自身のラジオ番組等の媒体で、国内外のテクノアーティストの楽曲をかけまくり、日本のテクノキッズの育成、啓蒙を徹底的にしまくっていた側面があります。アンダーワールド、オウテカ、エイフェックス・ツイン、デリック・メイなど電気グルーヴに教えてもらった人も多いのではないでしょうか。

その後も「虹」や「Shangri-La」などのヒット曲を生み出し、2001年には活動休止を発表。2004年に活動を再開し、以降はコンスタントに音楽リリースやツアー活動を行い、2019年には結成30周年を迎えました。

2019年から2020年には不祥事により活動自粛を余儀なくされましたが、2021年にFUJI ROCK FESTIVALの大トリとしてパフォーマンスを再開し、活動を復活させました。2024年のFUJI ROCK FESTIVALにも出演。

国内外での人気も高く、1998年にはドイツ・ベルリンで開催された「Mayday」で初の海外ライブを行い、同年にはヨーロッパツアーも敢行。電気グルーヴは、欧州でもその名を知られることとなりました。

メンバー構成の変遷とサウンドの進化

メジャーデビュー後、テクノミュージシャンの砂原良徳(まりん)が加入。砂原の加入によって音楽性も深化し、テクノサウンドがさらに洗練されていきました。特に1993年リリースのアルバム「FLASH PAPA MENTHOL」以降はテクノの要素がより強まり、「VITAMIN」などの作品はオリコンチャートにもランクインし、日本のテクノシーンを牽引しました。

砂原の脱退後、2001年には活動を休止しますが、2004年に活動を再開。その後も、リリースやライブ、フェス出演を続け、2019年には結成30周年を迎えました。


メンバー紹介

ピエール瀧

本名:瀧 正則(たき まさのり)
出身:静岡県
生年月日:1967年4月8日

高校時代に石野卓球と出会い、音楽に没頭するようになりました。高校卒業後に上京し、映像会社でアルバイトをしていた際に石野から誘われて電気グルーヴに参加。音楽活動に加え、俳優としても多彩な役柄をこなし、映画「凶悪」「くじけないで」などで高い評価を得ました。

ライブではコミカルなパフォーマンスやユニークな演出で観客を沸かせることが多く、ステージ上でピザを焼いたり、着ぐるみで登場することもあり、テクノ系ライブにエンタメ要素を加える役割を担っています。

石野卓球

本名:石野 文敏(いしの ふみとし)
出身:静岡県
生年月日:1967年12月26日

幼少期からYMOやクラフトワークなどに親しみ、高校時代に電気グルーヴの前身バンド「人生(ZIN-SÄY!)」を結成。音楽の方向性の違いからバンドは解散しましたが、その後電気グルーヴを結成し、サウンドメーカーとしてメインの音楽制作を担当。

国内外で精力的にDJとしても活動し、映画音楽やCMサウンド、さまざまなアーティストとのコラボレーションも行い、音楽一筋で幅広く活躍しています。2018年にはソロ活動の集大成として8枚組アルバム「Takkyu Ishino Works 1983~2017」をリリースしました。

名曲たちとその魅力

電気グルーヴは、「Shangri-La」「虹」など数々の名曲を生み出してきました。独特のテクノサウンドにコミカルな歌詞と斬新なサウンドエフェクトを取り入れたこれらの楽曲は、ファンのみならず幅広い層から支持されています。テクノを日本に広めた先駆者として、電気グルーヴの楽曲は今なお多くの人々に影響を与え続けています。

電気グルーヴの楽曲には、日本の音楽シーンで強い印象を残すヒットソングが数多く存在します。今回は、彼らの代表的な楽曲から5曲をご紹介します。


1. シャングリラ(Shangri-La)

1997年3月にリリースされたこの曲は、電気グルーヴの代名詞ともいえる大ヒット曲です。日産のSUV「テラノ」のCMソングに起用されたことがきっかけで注目を集め、オリコンシングルチャートで10位にランクインしました。実は、この曲には元ネタが存在します。1977年にスペインのジャズピアニスト、ベブ・シルヴェッティがリリースした「Spring Rain」がサンプリングされています。特にイントロ部分がほぼそのままで、聴き比べると非常に似ています。

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アレンジ作業は難航を極め、ラップ調の歌詞にも試行錯誤があったといわれています。彼ららしく、「印税の半分はシルヴェッティに渡った」というジョークを残しています。曲調は軽やかなビートを刻むテクノサウンドで、聴く人を魅了する仕上がりになっています。

また、リミックス版としてはアニメ『空中ブランコ』のエンディングに使用された「Shangri-La (Y.Sunahara 2009 Remodel)」も有名です。オリジナルよりもクリアな音質で、より聞きやすくなっています。他のアーティストによるカバーも多数あり、キャプテンストライダムやチャラン・ポ・ランタンなどがこの曲を再解釈しています。


2. 虹

1995年にアルバム『DRAGON』からシングルカットされた「虹」は、シンガーであり作曲家の五島良子をゲストボーカルに迎えた楽曲です。歌詞はあるものの、インスト部分が大半を占め、10分という長い曲ですが、シングル盤も別途作成されています。この曲は、2006年に放送されたアニメ『エウレカセブン』最終話の挿入歌に使われ、感動的なシーンを彩りました。楽曲の長さやインスト主体の構成が、アニメのセリフに干渉せず自然にマッチしています。

2012年に放送された『エウレカセブンAO』の完結編でも、ロックバンド・LAMAによるリメイクバージョンが使用され、ファンの間で再び話題になりました。


3. N.O.

1994年のアルバム『VITAMIN』に収録されている「N.O.」は、石野卓球が前身バンドの解散当時の心境を歌詞に表現した楽曲です。このアルバムでは電気グルーヴがテクノサウンドを本格的に取り入れ、新たなスタイルを確立しました。実は、方向性の違いに困惑したレコード会社の要請で作られた曲でもあります。

この曲は、石野本人が自身のリアルな体験を元に書いたものであり、今でも演奏し続けられています。彼は他の曲については「若すぎて恥ずかしい」と感じることもあるようですが、「N.O.」だけは例外と語っています。2015年のドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? -石野卓球とピエール瀧-』のテーマ曲としても使われ、新録音源が映画のサウンドトラックに収録されています。


4. 富士山

「富士山」は、ただひたすらに富士山を称える歌詞が印象的な楽曲で、アルバム『VITAMIN』に収録されています。2006年と2016年にFUJI ROCK FESTIVALに参加した際、富士山の麓でこの曲を披露し、ユーモラスなパフォーマンスで話題を呼びました。2006年のステージでは、富士山の被り物を着用して歌い、会場を盛り上げました。また、2018年のフジソニックでは富士山をモチーフにしたオリジナルグッズも販売されています。

イントロや間奏に何かが話されているように聞こえますが、実際に何が言われているのかはファンの間でも不明で、ネット上でも時折話題になります。一部では「音源の逆再生では?」と噂され、楽曲のミステリアスな一面がさらに人気を高めています。

5. POP CORN

「Popcorn」は、電気グルーヴが1996年にリリースした隠れた名曲。歌詞はなく、シンセサイザーやビートマシンを駆使した本格的なテクノサウンドが特徴。リズムが躍動感にあふれ、シンプルながらも中毒性のあるメロディが印象的です。


電気グルーヴの音楽は、エンターテインメント性とクリエイティビティに富み、聴く人を楽しませてくれる要素が満載です。この4曲は彼らの多様な音楽スタイルを堪能できるおすすめの楽曲です。

電気グルーヴのお笑いの才能、与えた影響

電気グルーヴは、音楽だけでなく、そのユーモアセンスや独創的なパフォーマンスでリスナーやファンを虜にしてきました。彼らの「お笑いの才能」が花開いたのは、1991年から1994年にかけて担当した「オールナイトニッポン」のパーソナリティとしての活動でした。過激な内容と独特の世界観が話題を呼び、人気投稿者とのやりとりも注目されるなど、当時のラジオシーンを大きく変えた存在となりました。この番組は伊集院光やナインティナインの岡村隆史といった多くの後輩芸人にも影響を与え、エンタメシーン全体に彼らの存在感を刻みました。

以下、彼らが起こした注目のエピソードをいくつかご紹介します。

急に別番組が始まった!? (1992年2月15日放送)

ある日の放送は「ポパイとマンガさんのザックザク情報局」という架空の番組のエンディングから始まりました。

伊集院光や天久聖一など仲の良いゲストを迎えての企画で、突如現れた別番組のエンディングの後に、口で時報を入れてから通常の放送を進行。

リスナーが困惑しているにもかかわらず、すべてを無視して進行するという異例の放送回です。この番組内では、捏造された「お便り」や架空の「スポンサー」が登場し、独自のユーモアが存分に発揮されました。

ピエール瀧が麻薬取締法違反で逮捕 

2019年3月、ピエール瀧が麻薬取締法違反で逮捕されたことで、彼の所属事務所であるソニー・ミュージックアーティスツは契約解除を発表し、瀧の音楽作品や映像作品が出荷・配信停止となりました。

この処分により、ファンからは強い反発の声が上がり、特にサブスクでの楽曲配信停止に困惑した人々は、音楽の配信再開を求める署名活動を行いました。署名サイト「change.org」には、約64,000人もの署名が集まり、ソニー側に提出されました。

また、音楽業界内でも様々な反応がありました。

坂本龍一は「音楽に罪はない」とツイートし、音楽とアーティストの行動を切り離すべきだという立場を示しました。

この発言には賛同する声が上がる一方で、アーティストとしての責任も問われるべきだとの意見も存在しました。

さらに、山下達郎は自らのラジオ番組で電気グルーヴの楽曲を流し、問題提起を行いました。彼は、音楽はそれ自体が人々に与える影響を持ち続けるべきだと主張しました。

この騒動は、音楽業界における「アーティストの行動と作品の関係」についての大きな議論を巻き起こしました。音楽はアーティストの個人的な行動とは無関係に聴くべきか、それともその背景を知った上で受け入れるべきなのか。その問いは、今後も音楽業界やファンの間で考え続けられることになるでしょう。

石野卓球の漢気と、ピエール瀧の打たれ強さ

ピエール瀧が麻薬取締法違反で逮捕された際、世間から厳しいバッシングを受けていた中、相方の卓球(石野卓球)は彼を強く擁護しました。卓球は瀧が過ちを犯したことに対して理解を示し、彼の人格や過去の貢献を擁護するコメントをいくつも残しました。この姿勢は、卓球の「漢気」を象徴するものとして、ファンや関係者に強い印象を与えました​

その後、瀧は俳優としての実力をさらに証明しました。2024年には映画『地面師たち』での演技が高く評価され、特に彼が演じた複雑でリアルなキャラクターに対する評価が続出。彼のセリフ「また変な薬に手ぇ出さんかったらええけどな」などが話題となり、彼の復活を祝う声も多く上がりました​

卓球自身もこの演技を見て、瀧の俳優としての魅力を再認識し、改めてその実力を評価しています。このように、ピエール瀧は苦境から立ち直り、俳優としてのキャリアにおいて新たな道を切り開いています。

スポンサーの意向を気にせざるを得ない地上波放送から、ネットフリックス、アマゾンプライムビデオなどサブスクが勢いを増す中で、音楽業界およびエンタメ業界における電気グルーヴの活躍がますます期待できます。

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