兵庫県知事選における斎藤元彦氏の再選が「大手メディアの敗北」と揶揄される背景には、既存メディアが抱える深刻な課題が浮き彫りになっています。しかし、この表現には違和感を覚えます。本当に敗北したのは今回の選挙で明らかになっただけで、実際には、既存メディアは長い間、情報環境の変化に追いつけず、自らその地位を失いつつあったのではないでしょうか。
以前と比べて衰退しているのは間違いありませんgな、しぶとさ、反動といったものがあります。オールドメディアとネットメディアの人的、資本面での境界線もあいまいな部分が多く、一部のSNSで言われているような、オールドメディアの力が一気に消滅するような分かりやすく、痛快な動きにはならないことを認識しておくべきでしょう。
この記事では、「オールドメディアの敗北」が持つ意味を考察し、現代社会におけるメディアの役割や、情報環境の変化に対応するための戦略について掘り下げます。
なぜ「大手メディアの敗北」と言われるのか?
まず、「大手メディアの敗北」という表現が指すのは、SNSやインフルエンサーなど新しい情報発信者の台頭によって、既存の新聞社やテレビ局が持つ情報発信力が弱まった現状です。
兵庫県知事選を例に取ると、斎藤氏はSNSやインターネット上での支持を獲得し、既存メディアによる批判報道を跳ね返しました。一部では「大手メディアによる攻撃」がかえって彼の支持を強化したと分析されています。これは単なる選挙戦略の成功ではなく、大手メディアがもはや社会的な信頼を得られない状態にあることを象徴しています。
公平性、中立性(悪く言うと自己保身的なムーブ)により発信能力を奪われ、一方で、護送船団のような同じ論調で斎藤知事を叩いたことが、今回の選挙では裏目に出ました。
重要なのは「斎藤氏の当選が敗北をもたらした」のではなく、「誰が当選しても、既存メディアへの信頼が崩れていた」ということです。
メディアが果たすべき役割とは?
メディアの役割は単なるニュースの提供ではなく、民主主義を支える「議論の土壌」を形成することです。
異なる価値観を持つ人々の間で共通の前提や見解を提供することで、建設的な対話を可能にします。
例えば、ある候補者を支持する理由と支持しない理由を並列的に取り上げ、「なぜ対立が生まれるのか」を丁寧に説明する報道が求められます。それによって、立場の異なる人々が互いの考えに少しでも共感し、相手を敵視しない議論が可能になるのです。
ところが、現代の大手メディアは、この役割を十分に果たせていないと言われています。その原因を探ると、以下のような構造的な問題が浮かび上がります。
Web時代における情報の洪水と信頼低下
インターネットの登場以降、情報流通の主役は紙やテレビからWebへと移りました。この変化により、誰もが簡単に情報を発信できる時代になった一方で、大手メディアは相対的にその発言力を失いました。
1. 情報量の圧倒的格差
情報通信白書やロイターのデジタルニュースレポートによれば、Webに流れる情報量に比べ、大手メディアの発信量は微々たるものです。この格差が、メディアの信頼低下を招く一因となっています。
また、大手メディアが「報道しない」事柄に対し、SNS上で「これは隠蔽ではないか」という疑念が生まれやすい状況が続いています。これにより、メディアの情報は「一部しか伝えない」「都合の悪い事実を隠す」といった不信感を強めています。
兵庫県知事選の情報が欲しい人がテレビをつけても、グルメや、天気や、他のニュースが流れているのでは、欲しい人へ情報がリーチしません。かといって、深堀した報道をしようにも、それ以外の興味のない視聴者にとっては苦痛の時間が流れるわけです。
情報の不適合も含めた、個々の興味に対する情報の格差といえるでしょう。
2. ビジネスモデルの変化による影響
広告収益の減少や経費削減によって、メディアは独自取材や調査報道に十分なリソースを割けなくなっています。その結果、「どの社も同じようなニュースばかり」「新しい視点がない」と批判されるようになりました。
今回の斎藤知事に関する報道は、情報ソースが曖昧ななか、かなり偏向した報道を各メディアが繰り返し報じたことで、その傾向が際立ちました。
SNSがもたらすストーリー重視の時代
こうした背景の中で、SNSは情報発信の中心的な場となりつつあります。SNSでは、事実よりも「ストーリー」が重視される傾向があります。
兵庫県知事選では、斎藤氏が「既得権益と闘うヒーロー」という物語を掲げ、支持を集めました。
厳密には斎藤知事自身は一言もそのストーリーを演出してません。その不合理な構図を容認できない第3者である複数のインフルエンサーがそのストーリーを作り上げたと言えます。しかも、オールドメディアの情報ソースが曖昧だったが故に、むしろSNSで提示されているストーリーのほうが信ぴょう性に勝ると、多くの有権者が感じたのだと思います。
このストーリーに対して、大手メディアが自己規制なのか、急な方針転換をすることに躊躇ったのか、沈黙を貫いたことで、かえって斎藤氏の物語が強化される結果となりました。
この現象は、単に候補者の選挙戦略の巧妙さを示すものではありません。それ以上に、「メディアが物語に勝てない時代」に突入していることを意味しています。
メディアが果たすべき「次の役割」とは?
この状況を打開するために、大手メディアが取り組むべきことは以下の3点です。
1. 情報の多様性を確保する
現在の報道が「偏っている」と見られる背景には、多様な視点の不足があります。メディアは、異なる価値観や立場を持つ情報を積極的に取り上げ、それを公平に編集する必要があります。
毎度おなじみのテレビに登場し、ほんの数十秒の与えられた時間内に、的確な意見を言い切るという、コメンテーター特有の能力があるかと思います。かつ番組の姿勢と真逆のことを突然言い出さない安心感のある存在。
つまりは多様性という点では、真逆のコメンテーターが重宝される番組作りになってるのではないでしょうか。
2. WebとSNSでの発信力を強化する
従来の新聞やテレビだけでなく、Web媒体やSNS、動画プラットフォームを活用して、より多くの情報を発信すべきです。
視覚的で分かりやすいニュースの提供や、短い動画による解説など、現代の視聴者に合わせた形式が求められます。
SNSの強みは、個人が情報を受け取って、1分も経たずに発信できる面です。オールドメディアは、おそらくどう報じるのか、関係者、決裁者など交えて会議する必要があります。過激な発言もできません。
発信力で劣る部分を、世間から「悪者認定」された個人を過剰にバッシングすることでカバーするような面があったのかもしれません。テレビの視聴者も、YouTubeの視聴者も双方ともに刺激は欲しているのは共通です。
3. 独自取材と深掘り報道の復活
信頼回復には、やはり「ここでしか得られない」独自情報が鍵です。
費用対効果を考慮しつつも、取材力を再構築し、単なる速報ではない深掘り型の報道を提供すべきでしょう。
真面目な話、天気予報、グルメ、ペット、無難に視聴率がとれる内容をパッケージとして番組を作っていては、物理的にニュースへの時間に制限があります。1時間テレビをつけて得られる情報が、ぎゅっと凝縮すると活字で数分で得られるものでは、視聴者が離れていくのは当然です。
おわりに:大手メディアの進化に期待して
「オールドメディアの敗北」は現状を的確に表した言葉かもしれません。しかし、それを嘆いて終わるのではなく、新しいメディア環境に適応するための変革を目指すべきです。
民主主義の基盤としての役割を果たすために、大手メディアには、情報の多様性と信頼を取り戻す挑戦が求められています。その挑戦が成功するかどうかは、読者である私たち自身の行動にもかかっています。情報を選び、考える力を養うことが、より良い社会を築く一歩になるのではないでしょうか。